医薬品関連分野において、製薬会社は、開発した新規化合物が特許権により万全な保護を得られるよう、当該化合物そのものにつき特許出願をするほかに、それに続く当該化合物の開発の成果、例えば、新規結晶形、新規誘導物、新規製剤的配合・剤形、新規製造方法、および/または新規医薬的用途等についても特許出願をするのが通常となっており、それにより、医薬品の保護期限も実質的に延長されることになる。
そこで、本稿では、新規結晶形に焦点を当てて説明する。
低分子化合物は、結晶多形(polymorphism)という性質を持つものが多く、このような化合物は、分子中の各原子が結晶格子において異なる三次元的な配列を有するため、結晶の生成の際に溶媒の種類、結晶条件を通じて制御すれば、様々な固形結晶の形態(結晶形)を発生させることが可能である。異なる結晶形は、異なる物理・化学的性質、例えば溶解度、安定性、吸湿性、バイオアベイラビリティ(生物学的利用率)、加工性をもたらし、薬品の効果、安全性等に影響を及ぼす可能性もある。
製薬技術の進歩に伴い、当業者であれば、製薬業界のニーズに応じ、通常の実験方法により優れた性質をもたらす結晶形を選別、製造する動機や能力があると思われがちであり、結晶形の発明による特許権取得の難易度が高まっている。たとえ審査段階において先行技術に比べて進歩性(予期せぬ効果等)を有すると判断されていても、侵害訴訟の段階では、結晶形発明に係る特許権の有効性が厳しく判断される傾向にあり、また、ジェネリック医薬品会社も別の結晶形を選んで製薬することで特許権侵害を回避するケースも珍しくはない。
結晶形発明の特許権の権利行使における困難な点は、後述の知的財産及び商事裁判所(Intellectual Property and Commercial Court。以下、知財裁判所)が下した2点の判決からうかがわれる。
- 110年度民専訴字第8号民事判決(2021年11月30日作成)
- 111年度民専訴字第51号民事判決(2023年4月10日作成)
上記2件の訴訟はいずれも医薬品パテントリンケージ制度に係る侵害訴訟である。同2件の原告はバイエル・ヘルスケア・エルエルシー(Bayer HealthCare LLC。以下、バイエル社)であり、被告は台湾のジェネリック医薬品会社の、健喬信元醫藥生技股份有限公司(SYNMOSA BIOPHARMA CORPORATION)、美時化學製藥股份有限公司(LOTUS PHARMACEUTICAL CO., LTD.)である。
同2件の訴訟では、複数の特許への言及がみられるが、結晶形発明に係る係争特許は台湾特許第I382016号「トシレートの熱力学的に安定な形態」のみであるため、同特許に重点を置き、以下、係争特許と称す。
- 110年度民專訴字第8號民事判決
係争特許は、特定した構造を有する式(I)で表される化合物の熱力学的に安定した結晶多形を提供するものである。当該結晶多形は、望まざる他の多形への変換、および、付随する式(I)の化合物の特性、例えば溶解性またはバイオアベイラビリティの変化を確実に防止することができるとされている。また、係争特許の明細書は、同化合物の他2種類の結晶多形やエタノール合物・メタノール合物に比べて、当該発明の結晶多形は、室温において熱力学的に安定しており、懸濁による処理の後でさえ保存安定性を有しているため、医薬製剤における使用に特に適する旨を記載している。被告側は、自社のジェネリック医薬品が係争特許の特許権範囲に該当しないという趣旨の反論を提出しなかったため、係争特許の有効性が、本件訴訟の主な争点となった。
知財裁判所は関連証拠を検討した結果、以下のような判断を下した。
「公知文献は、係争特許に記載の、X線回析、IRスペクトル、ラマンスペクトル、FIRスペクトルおよびNIRスペクトル等のスペクトル分析法による数値、あるいはTGA、DSC等の熱分析法による数値で特定した結晶多形を明記していないが、同一医薬成分による異なる結晶多形は、異なる物理・化学的性質を有することが可能であるため、医薬品の品質、安全性、有効性、製造性に影響を及ぼさないように、安定した結晶多形を選別する必要があることを開示している。このため、当業者には、適切かつ安定した結晶形を選択して製剤する動機付けが与えられ、通常の試験、例えば再結晶試験、自動化模擬結晶システム(simulated crystallization system)を通じて係争特許の発明を容易に完成することもできる。」
一方、原告側は、係争特許の特定結晶形は熱力学的に安定している他、乳鉢にて30秒研磨して形態に変化は見られなかったことから、他の多形に比べて機械的応力安定性(mechanical stress stability)を示しており、予期せぬ効果を有すると主張した。これに対し、知財裁判所は、関連証拠から、安定状態にある結晶多形は、準安定状態(metastable)の結晶多形に比べてより多くの活性化エネルギー(activation energy)を吸収して初めて高い自由エネルギーを有する非結晶形態(amorphous state)に転換し得ることが分かり、つまり、安定状態の結晶多形は、研磨工程で付与される活性化エネルギーに対して比較的高い抵抗能力を有するため、結晶形の転換には至らなかったと理解することができ、熱力学的安定性と機械的応力安定性は、本質的に通じるものがあり、正の相関関係もあり、当業者であれば、安定状態の結晶多形は比較的高い機械的応力安定性を有することを合理的に予期し得る、との見解を示した。
また、原告側は、係争特許に係る医薬品が、商業的成功を得ていることを以て係争特許の発明の進歩性をも主張したが、裁判所は、ネクサバール・フィルムコーティング錠(Nexavar® film-coated tablets)は、係争特許の特許権の存続期限が満了していないため台湾市場を独占しており、その商業的成功は単に、当該特許の技術的特徴によるものだけではないと判断し、原告の主張を受け入れなかった。
- 111年度民専訴字第51号民事判決
本件訴訟の提起時点では、被告のジェネリック医薬品がまだ市販されていなかったため、原告のバイエル社は、被告側から非侵害を立証し、鑑定分析のために当該ジェネリック医薬品を提供すべきであると主張した。しかし、知財裁判所は、被告がジェネリック医薬品の査験登記(承認審査登録)時に提出した資料は、係争ジェネリック医薬品そのものを代表することができ、侵害の有無を判断する材料ともなりえるとし、原告の主張を退けた。
侵害するか否かの論争について、知財裁判所は、医薬品の「査験登記審査基準」によると、ジェネリック医薬品とは、「国内で許可を得た医薬品と同成分、同剤形、同分量、同効果を有する製剤」であり、このため、係争ジェネリック医薬品は、許可を得た係争特許医薬品と同じ活性成分(sorafenib tosylate)を有すると思われるが、結晶多形まで同一であると判断することはできず、また、係争ジェネリック医薬品の査験登記資料から、係争ジェネリック医薬品の結晶形は、係争特許医薬品の結晶形と異なることがわかるため、係争ジェネリック医薬品は、係争特許の特許権範囲に包括されていないと認定した。
また、知財裁判所は、錠剤の製造時、係争ジェネリック医薬品の有効成分が研磨粉砕・噴霧造粒(spray granulation)・乾燥・打錠(圧縮)の一連の工程により結晶形に変化が生じ、係争特許に係る最も安定した状態の結晶多形に転じる「可能性」が考えられるとの原告側の主張について、このような結晶形の変化は「必然的」に発生するものではないため、既存の証拠・資料では確認し得ないため、原告の主張に基づき侵害と判断することはできないとした。
上記の二件訴訟の結果から分かるように、結晶形発明に係る特許権の取得は、化合物発明に加え、先発医薬品により一層の保護を得ることが可能であるものの、製薬技術の成熟に伴い、進歩性要件の認定のハードルも高くなっている。このため、結晶形発明に係る特許明細書を作成する際、以下のように工夫することが考えられる。
- 係る結晶形が確かに、予期せぬまたは改良された物理・化学的性質を有していることを多面的に表現。
- 対象外の結晶形との対比データを適宜記載。
- 試験データの信憑性を高めるべく、その技術分野においてよく用いられている、または国際的に認められた試験条件の採用。
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